★あの日から年表★

■1992年/3月

 UPL倒産。
 同社の開発ラインを引き取りたいというオファーは
 大手メーカーも含め、各方面からあったと聞く。
 しかし、当時の開発部長だったF氏が自ら会社を興す事を決意、
 スタッフのほとんどはそちらへ移籍する事に。

 ちなみにこの時点での開発タイトルは

 ▼AC「BREAK SHOW」(ファイナルファイト風格闘ゲーム※1
 ▼AC「快速!すぱろ〜ず!!」(縦画面シューティング)
 ▼PCE「アクロバットミッション」(移植・外注※2

 であった。

 「シュトラール」のプログラマーK氏とサウンド担当N氏は
 この一件よりも前にUPLを退社していた事もここに書き添えておく。

 ※1 「ゲーム批評」誌で「対戦格闘」との記述があったが、
    これは同誌編集部の勘違いだと思われる。


 ※2 外注先はSFC版(テイチク販売)とMD版(タイトー販売)を
    同時に開発する予定だったが、何しろ実力派なので、そのまま
    発売されてもちょっと問題があったのでは…と思う。



■1992年/4月

 
旧UPLで採用が内定していたスタッフ3人が新会社に合流。


■1992年/6月

 ●ミー工業よりアーケード用タイトル2作(対戦格闘・アクション)を
 受注、製作開始。とにかく「海外ウケ」を念頭に置くよう、
 強く指示を受ける。


■1992年/夏

 ●ミー工業より子供向け景品払い出しゲーム機の開発を受注。

 ●ミー工業より「モータルコンバット」のゲーム基板の提供を受け、
 「あの路線」を強要される。

 SFC版「アクロバットミッション」発売。
 プレイした企画K氏ががっくり肩を落とすのをつぶさに見る。

 この頃から旧UPLスタッフのドロップアウトが始まる。


■1993年/春

 ●ミー工業より「けろけろけろっぴのいっしょにあそぼう」発売。
 いまでも時々見掛ける事があるので、是非プレイして頂きたい。


■1993年/夏

 
詳しい事情は割愛するが、旧UPLスタッフ3名がドロップアウト。


■1993年/秋

 ●ミー工業より「サバイバルアーツ」発売。
 ゲームセンターの対戦台でバリバリに戦う事を夢に見ていたのだが、
 残念ながら市場で出回りはイマイチ。


■1993年/冬

 詳しい事情は割愛するが、旧UPLスタッフ2名(含む当サイト管理人)が
 ドロップアウト。これによりUPL開発部からの移籍組は、社長F氏を含め
 2名に。


■1994年/春

 AOUショーにて「ダイナギア」発表。

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